松永さんが体調不良で心配してるときに書くことじゃないかも知れないけど。
いつも以上に松永さんのこと考えてしまうから、普段から思ってること書きます。
私は品行方正な聖人君子を求めて生きてたり人を好きになったりするわけじゃないです。
豊かな感情を持って、物事を多角的に見て、自分の頭で思考するような、深みや厚みのあるにんげんせいに憧れて惹かれる。
奥行きのある感情、多角的な視野、自由で制限のない思考、それゆえに矛盾や答えの出ない混沌を待って、そんな自分と世の中との折り合いのつけ方を考えて。自分の表現の仕方を探り探り試行錯誤して。豊かであるからこそ、その事象の幅も広がる。
正解や結論ばかり求め、思考自体を他人に委ね、世の中に迎合することに尽力する。そういう生き方をすれば正しく、品行方正で聖人君子になれるかも知れない。私はなりたくない。
自分で思考していたい。自分の心で感じていたい。矛盾も混沌も恐れずに、ありのままを持って、自分の意志で試行錯誤して生きていたい。
もして、もしかしたら彼らも同じじゃないかと、共感できるんじゃないかと、似ているんじゃないかと。とても居心地のいい場所として、それが気に入っていて。その中でたくさんのきらめくありのままにときめいて、惹かれて憧れて愛してしまうのかも知れない。
自分の感情と自分の意志、自分で思考して生きている。日常のささやかなことも楽しんで堪能して、ちゃんと今を自分の頭と胸で生きている。くだらないことも哲学も混沌の中で愛してるような。
私の一方的な勘違いかも知れないけど、それでもいいと思うほど、同じ時間を生きているのが嬉しくて励みになって癒されている。本当のことなんて目には見えないから、こうして感じることを愛して生きていく。
そんなことを、最近は心の奥で思っている。