ゆるり ゆうりん

思うことをひっそりつぶやくだけのブログ。主にTwitterに書き切れない米津玄師さんへの思いを書いたりしてます。

お客さん

どう感じたのかを記しておこうと思う。

 

やっぱり、人数が多くて声の大きな人達ならば取り上げるのか、ということに1番がっかりした。

 

特定の人達の、特定のハッシュタグ

他と違うのは、人数が多くて、声が大きくて、目立つこと。

 

仲間内でそうやって楽しむのは全然構わないと思う。

 

私は個人的には知らなかったし、知っていても乗らなかった。

だって感謝の気持ちなんて人に言われてするものだと思ってなくて、自分のタイミングで伝えているから。

フォロワーを増やさない、特に発信してない人なんて、ツイッター内では底辺で、目に止まることはないのかも知れないけど。

それでも自分なりにはマイペースでその時々で言葉にしているから、今回乗ることはなかった。

 

そうやってみんなが思い思いやっていることろで結局、目立つところだけは取り上げて感謝するのか、と。

 

大きくなりすぎてもう全体をみることも難しいだろうから、目立つものをひとつを取り上げるのは仕方のないことかも知れないけど。

 

 

感謝申し上げるツイートを見て最初に目についたのが「◯◯さんが始めて私達が拡散したもの」と言う、仲間内リプの山。

 

届けた人達は、見てもらって、拾ってもらって、喜んでいる。

私が感じたのは単純な嫉妬に過ぎないのかも知れないけど、人数が多くて声が大きいとこだけは拾われることへの虚しさであると自分では思っている。

 

今後そこには人が増えていき、より声も大きくなるのかな。

なんて思うと、やりきれない。

 

そこに入るものだけが認めてもらえるものになる。

逆を言えば、そこに入らぬものは認識もされないだろうと。

認識されるものになりたくば、そこに自分を当て嵌めなければならない?

特定のものを取り上げて感謝するとはそういうこと。

 

でもまぁ、ここは、なぁなぁにしなきゃいけないのかしら?

細かくつっこむのが悪い?

へらへらっと笑って流すべき?

結局は、声の大きさが大事な世界?

私はマイノリティーで、哀れまれて対応されるべき存在?

 

 

若い頃、幼なじみがバンドを始めたことで、付き合いからライブハウスにちょくちょく足を運ぶようになった。

 

そこで対バンなんかでいろんな人を見てきた。

やっぱり特定のお客さんを大事にしたり、活動的なお客さんを野放しにするバンドは崩壊してた。

 

お客さんを大事にするのはいいじゃないかと思うかも知れないけど、それ以外の人は居心地が悪くなる。

好きで見ているのに、自由に楽しめない、何かに合わせなければ居られない、となると離れていく。

 

はたまたメンバーも手を焼く困った人に粘着される場合もあるし。

勝手にぐいぐいきて自称「ほぼスタッフみたいなもの」と言い、他のお客さんを束ねたり仕切ったりしようとしたり。

 

なんかそういうのをいっぱい見てきたし、話しも聞いてきたから、どうしてもそれが頭をよぎるし。

 

みんながフラットでいられるように、お客さんを均すような対応をした方がいいのではないか?などと思う。(今回はそれとは逆の動き)

 

でも活動の主体は事務所であり、彼本人だから、上述の通り私が訴えたり強要するものでもない。

在り方は向こうが決めること。

 

今回のは、ただのハッシュタグとしか捉えてないかも知れない。

だけど、なぜひとつだけあえてタグ付けして取り上げるのだろう?とは思う。

その行動がどんなものか考えていないのかも知れない。

単純に嬉しかっただけかも知れない。

他の人を無視していることにはならないかも知れない。

 

だけど、どうしても感じる疎外感。

寂しいし、悲しい。

 

それに乗ることが出来ない罪悪感。

なぁなぁにして、何も余計なこと考えず乗ればいいのに、自分は自分の思いがあり、それが出来ない。やれなくはないけど、無理は嘘になる気がしてイヤだから。

 

 

こんな風に考えるほど好きでいること、こうして考えていること自体がおかしなことだとも思うけど。

 

いつも自分の醜さを見るし、疎外感と罪悪感は消えないし。恨みがましいし。

私こそが、全くよいお客さんではないものだよね今これは。

 

いつか気持ちを切り替えられるタイミングが訪れますように…