ゆるり ゆうりん

思うことをひっそりつぶやくだけのブログ。主にTwitterに書き切れない米津玄師さんへの思いを書いたりしてます。

カムパネルラ聴いた個人的な想い(中二病かな)

STRAY SHEEP次の感想を書こうかなって思ってるけど、自分の思いでつまずくので吐露…。

 

「カムパネルラ」
通り過ぎたものに思いを馳せた哀愁を歌っている感じなので、思い切り引っ張られてしまいました。
なので、その思いを吐き出させてもらいます。
(感想は別で書きたいので、別枠ということにしてみます)
 


Lemonで米津さんの名前が世間に浸透して、やっぱり寂しくなりました。
いきなりめちゃめちゃエゴですみません。
 


今もたぶん、世間の米津さんのイメージは「ミステリアス」であると思うんだけど、
Lemon以前から米津さんを好きな人達の抱く彼のイメージは全然違うものだった。


テレビという大きなメディアには出なかったけど、ネットにはいて米津さんを好きな人と割と近い距離にいてくれた。(当時はそうは思ってなかったけど。贅沢!)


Twitterで日常的なことをつぶやいてて、飲みに行った写真とかも載せてくれて。
ツイキャス(インスタライブ)も定期的にやってくれていた。


そこでは年齢相応な青年の姿も見せてくれていた。(年齢不詳的な思考や思慮深さなども見せてくれたけど)
かっこよくて、かわいくて、天然で、面白くて、どSで…人間的で魅力にあふれる人。


それらを感じることができるくらいの距離感でネットというリアルを共有していた。


今となっては、それらの蜜月の日々はとても貴重なものだったのだなと思い知らされている。
 


米津さんの名前が世の中に浸透するほどに、そのネットが不自由なものになっていった。

いろんな人がやってきて、それまでの形を存続することができなくなってしまった。


それはどんな有名人にも付きまとう問題だけれど。
例えば、言葉を切り取って拡散すること、そこに好意があったとしても、文脈のない言葉は意味を変えてしまう。

思慮深く慎重に言葉を連ねても、他者によって時に簡単に歪められる。


知名度が上がるたびに、大きくなるたび、好ましくない要素も介入してきて…
だから、それまでと同じ距離感を保てなくなってしまったし、どんな状況でも出てきて欲しいなど望めないようになった。
 


より多くの人に知ってもらい聴いてもらうこと、それは音楽家としての活動で重要なこと。
小さく細かいプロモーションなどはもう必要ないと思われるかもしれない。
でも、あの時の時間はただのプロモーションではなく、自然な交流のひとつだったと思っている。


今の社会では、このようになるのは仕方のないことだとわかっている。(社会が違えばいいのにね)


いなくなったわけでも、通り過ぎたわけでもなく、彼自身はそこに屈せず、いつも新しい形を模索してくれて、今回もたくさん与えてくれていて、とても嬉しくありがたく思っている。


でも、どうしても、戻らない時を思うことがある。
新曲を出したらふらっとツイキャスしてくれて「どうかな?」って聞いてくれるんじゃないか、という幻想が頭をよぎる。


カムパネルラは、そういう自分の気持ちに触れてくる。
あの時のあの形はもう二度と来ないだろう。振り返ると寂しくて胸に痛みを感じる。
だけど、ずっと、それはあったのだと憶えていたいと思う。